長距離ドライブ「オーロプレット鉱山街道、2つの世界遺産を走る」

  • ある秋の4連休。まとまって休みが取れましたので、かねてから行きたかったオーロプレットやコンゴーニャスに行くことにしました。自分が住んでいるサンパウロからオーロプレットまで、寄り道しないでも片道600kmありますが、そこその周辺の鉱山街道を走りながら別の2都市、その行程で2つの世界遺産の訪問もしたいと考えて計画しました。

  • というわけで、ざっと1300kmを4日間で走った記録です。
  • 行程は以下の通りです。
  • 1日目・・サンパウロ発----(480km)-----チラデンテス
  • 2日目・・チラデンテス発---(120km)--コンゴーニャス---(55km)--オーロプレット
  • 3日目・・オーロプレット周辺散策
  • 4日目・・オーロプレット発----(650km)----サンパウロへ
  • 【エスダードヘアウ Estrada Real(鉱物の道、鉱山の道)】
  • 「欧米諸国によるブラジル発展の歴史」、より正確に言えば「ポルトガルによるブラジル支配・資源搾取の営み」の原動力は、このブラジル中部にある鉱物資源開発に寄るところも大いにあり、ブラジルの国の発展に大いに関わった地域です。場所としてはこの説明版の左側の地図のように、北はダイヤモンドのとれるディアマンティーナ、そして金をはじめ有力な鉱物がとれるオーロプレットを中心に、鉱物積出港としてのリオデジャネイロとパラチーを結んだ街道を エスダード ヘアウ Estrada Real(鉱物の道、鉱山の道)と呼んでいます。現在は、かつてのように潤沢に貴金属類・希少鉱物がとれるわけではありませんが、かつての拠点都市が、古の栄光をしのばせるように美しい形で残っており、多くの観光客を受け入れています。
    このページはそんなエリアを走った記録です。なお、別サイトでディアマンティーナベロオリゾンチリオデジャネイロオーロプレットも紹介していますので、よろしかったらリンクからご参照ください。(作者は同じですので同じ写真が多数です)
    【1日目 サンパウロからチラデンテスへ 480km 】
  • せっかくミナスジェライス州まで行くのであれば、子どもが楽しめるものも体験したい・・ということで、オーロプレットを直接目指すのではなく、ますは、チラデンテスTiradentes という街を目指しました。ここには子どもが喜びそうな「SLの体験乗車ができる保存鉄道」があるからです。
  • 出発です。自宅を出たのは朝の4時。すぐに少し明るくなりましたが、強盗の心配はどうしてもありますので、周囲に気を付けながらサンパウロ市内を抜けていきます。
  • 高速道路に入ると、強盗の攻撃パターンが変わりますので、走行中の襲撃に気を付けながら爆走します。

  • 途中のサービスエリアにて。
  • チラデンテスまで500kmほどの距離はありますが、ルート自体は簡単です。上の地図を見ていただければわかりますがサンパウロからBR-381 Rodovia Fernão Dias(ホドビア フェルナン ジアス)を北東に350kmほど走り東に1回左折し、BR-265を100kmほど走るだけです

  • ということで、チラデンテス付近の目的地、SL列車の発車駅がある サン・ジョアン・デル・ヘイ São João del-Reiに着きました 。 人口9万人弱の小都市ですが、ブラジル独立運動の偉人、チラデンテスの出身地であり、70を超える教会があるなど魅力的な街です。

  • まずはSL列車が発車するサン・ジョアン・デル・ヘイ São João del-Rei 駅の窓口に向かいました。こことチラデンテスまでの12kmを観光用の保存鉄道、オエステ・デ・ミナス鉄道 Estrada de Ferro Oeste de Minasが週末だけ運航しているからです(なお、以下何枚か窓口の写真が出てきますが、閉まっているのは後日撮影したものだからであり、自分が到着したときは当然開いていました)

  •  本数が少ないようなので、出発前から、SL列車の出発時間を調べ、逆算してこれに間に合うように自宅を発ってきました。
    でも、このチケット売り場で、窓口嬢に「切符をくださいな」と声をかけると衝撃的な返事が返ってきました。
  • なんと「今日のチケットは売り切れよ」との返事でした。確かに連休初日ですので同じ考えの人がいるのも理解できます。しかし、せっかく500kmも走ってきたので「他の列車はありませんか?」などと相談すると「チラデンテス発の復路なら空きがあるわ」との返事。
    片道だけだとなると駅間の移動が必要になりますが、乗れないよりマシと、復路の切符だけ買いました。

  • ちょっとだけ時間があったので、駅前のカフェでおやつタイム。500kmも走ってきたので子どもは飽き飽きしていまして・・。
  • おやつ補給のあと、チラデンテス駅に急いで移動しました。そこで見たのは・・・・
  • なんと蒸気機関車を人力のターンテーブル(転車台)で回す作業でした。ずっと見ていたいほど面白かったのですが、肝心のSL列車に乗り遅れないように駐車場を探し、急いで駅に向かいました。


    それにしても、日本ではなかなか見られない風景です。 ものすごく力が必要に見えますが、かつてJRに勤めていた方に聞くと、「機関車が良い位置にとまっていれば1人でも回せる」とのこと。なるほど、運転手の技量にかかっているのですね。

  • ・・・というわけで、駅に向かい列車にのります。
  • チラデンテス駅の説明書きです。保存鉄道なので、説明書きも観光客向けですね。
    「日曜日の運行時刻 11時と14時発 復路は13時発
  • 往復するためには往復切符が必要です。乗車時間40分
  • 学生は学生証提示で半額になります」 って感じでしょうか?

  • いよいよ乗り込みます!

  • 発車前に最後尾の客車に行ってみました。 こんな写真が普通に撮れるのも全てがテキトーなブラジルならでは。(ちなみに他の客も自由に列車に乗り降りして、線路上などを自由に歩き回っていました。係員さんも近くにいましたが、一緒に写真を撮っていました。ブラジル、サイコー)
  • いよいよ出発! こんな田園地帯をゆっくり進んでいきます
  • 乗っているのはみんな観光客のため、カメラを出す人多数。当然自分もその一人。
  • いい景色ですね。こんな橋梁も通ります。

    沿道の方もSL列車を歓迎してくれています
  • 一緒の車両に乗っていた大学生グループと仲良くなりました。何度も書いているのですが、ブラジル人は子どもに対して非常に優しい人ばかり。日本人の数百倍は優しくしてくれ、声もかけてくれます。よって、うちの子どもはただの子どもなのですが(当たり前!)すごく良くしてくれました。


    さあ、列車は終着駅、サンジョアン・デル・ヘイにつきました。なんのことない、最初に切符を買った駅ですが。
    ちなみにここにはちょっとした鉄道博物館もついていました。
  • 無事列車に乗り終えたのですが、サンジョアンデルヘイから、チラデンテスまでの交通機関がなくて困りました。わずか直線距離で12km、列車で40分、車で30分程度の距離なのですが、駅前にバスが見当たらないのです。タクシーもありません。困ってウロウロしていたら、先ほどの大学生グループに再会し、わけを話すと地元のおじちゃんに交渉してくれて、その人の車ででチラデンテスに戻ることができました。本当にブラジル人は親切な人ばかりです。ちなみに写真はチラデンテスのバスターミナル。少しのバスはあるようですが、本数がとても少なそうでした。

さて、1日めの夜は、チラデンテスで泊まることにしました。ちなみに裕福でない我が家は身分相応の安価な場所に宿泊します。今日の宿は、1泊朝食付き4人で日本円で6000円!。名前はPousada Arraial Velho ポーサーダ アライアル ヴェリョ と言うようです。ポーサーダとは、日本語で「民宿」「小規模な旅館」という感じの宿を指します。Arraialとは村、Velhoは古いの意味ですので「旅館ふるさと」という感じかなぁ。


  • 事前にネットで予約しておいたのですが、非常にわかりにくい場所にあり、いろいろな人に聞いてやっとたどり着きました。値段がアレですので、部屋も設備も期待しないで、 駐車場に車をとめて、歩いていくと・・・
  • おお、そこそこ小奇麗な宿でした。宿のおばちゃん(というか女将さん)も陽気でとても良い感じの方でした。中庭には一応プールがありましたのでこうやって見るとそれなりの宿に見えますねぇ。
  • 部屋はこんな感じ。値段相応にいろいろが歴史的ですが、悪くない雰囲気。

  • 宿全体がちょっとアンティークなテーマパークのように趣向を凝らしてありました。部屋の前にはブラジルお約束のハンモック (ポルトガル語で Rede:ヘージ)があり十分遊べます。

    夕食、買い物のために街を歩いてみました。

  • まず訪れたのが薬局。とても薬局に見えない外観ですが・・

    中はしっかりとした薬局。虫刺されの薬を買いました。

  • 夕食は大通り沿いのレストランでお肉やポテト

    ピザなどをおいしくいただきました。
  • 【2日目・・チラデンテス発---(120km)--コンゴーニャス---(55km)--オーロプレット】
  • 今回の目的地はもちろんオーロプレットなのですが、今日はその途中にあるコンゴーニャスCongonhas に寄ります。小さな街ですが、なんとここも世界遺産に指定されているものがあるからです。
  • 朝、朝食に行く前にハンモックでひと遊び。

    6000円のホテルとは思えないほど、充実した朝食。同じようなホテルのランクでも、大都市から離れるほど、値段が下がっていくことを感じます。

  • 出発前にチラデンテスの街を再度簡単に散策。少し雨模様でしたが、落ち着いた良い雰囲気の街。


    石畳がとても良い雰囲気。本国ポルトガルの田舎の雰囲気です。
  • けなげに走ってくれるわがザフィーラ。もとがオペルというヨーロッパ設計のためか長距離移動も苦になりません。

    チラデンテスの中心にいた観光用と思われる馬車。
    馬車にハローキティの装飾は絶対的に合わないと思うのですが・・・。

    何回目かの給油です。この時点ですでに自宅を出て600km近く走っています。ブラジルはガソリンスタンドが比較的多く、それほど困らないのですが、とにかく町間が長く、数百キロ見つからないこともあるので、気になったときに給油するのが鉄則です。
  • さあ、コンゴーニャスの町に入ってきました。
  • 目的地の駐車場につきました。さあ、その目的地とは・・・

    このきれいな街並み・・・・ではなく、
  • 世界遺産に指定されている ボン・ジェズス・ド・コンゴーニャスの聖域 Santuário do Bom Jesus de Matosinhosです


    確かに立派な教会ですし、この像も教会も世界遺産に指定されていますが、ここが世界遺産に指定されている理由は、この建物だけにあるのではありません。
  • 大聖堂の隣にあった看板。何か立派な説明版かなぁ、と思ってみてみると2004年12月17日付で、ここの修復工事を進めたエライ人たちの名前が書いてあるだけでした。
  • 近くには売店もありました。売っているのはキリスト教関連グッズ。
  • さて、本題に行きましょう。このコンゴーニャスが世界遺産に指定されている大きな理由がこの建物。この中には・・・
  • こんな感じの彫刻があるのです。これらは、イエス・キリストにまつわる聖書の場面を忠実に再現したもの。
  • こういった彫刻が安置されている礼拝堂が6箇所あるのです。この彫刻群が世界遺産に指定されている大きな理由だと思われます。
  • これは、イエス・キリストが当時エルサレムを治めていたローマ帝国の提督ピラトの命で死刑を宣告され、ゴルゴダの丘にむかって自分が桀にあう十字架を運ばされている場面ですね。
  •  これらの彫刻をつくったのがアレイジャディーニョ(本名アントニオ・フランシスコ・リスボア)。ハンセン病に侵されながら最後まで彫刻を掘り続けたという伝説の人物です。
  • これは、ゴルゴダの丘に到着してローマ兵に手を釘で撃ち抜かれているところ。処刑の直前の場面になります。
  • ・・・このように聖書の重要な場面が、実物大の彫刻によって再現されています。こういったイエス・キリストの足跡をだとることは、カトリック教徒において重要な行為で、世界中の熱心な信者、特に資産や地位のある熱心な信者である為政者は、自分の近くに古代エルサレムを再現し、キリストの足跡を目の前に再現したいと、考えるようです。世界には同様に「イエス・キリストが処刑されたエルサレムでの足跡を身近に再現したい」と作られた箇所がイタリアやポーランドなどにいくつかあり、その文化的・宗教的価値によりいずれも世界遺産になっています。
  • 近くにあった商店。こういったお店を見ると、いかにもブラジルの田舎という感じでなんかホッとします。

    近くには修復中の教会が。でも工事はあまり進んでいなさそうです。

    ザフィーラを高台にとめて、コンゴーニャスの町を眺め見ました。

  • 世界遺産に指定されているのは先ほどの教会周辺だけですが、町も静かでとても良い雰囲気です。
  • 坂道の町。美しい街並み。

    さて、次の目的地に向かいましょう。 右に向かうと、ベロオリゾンチ(現在のミナスジェライス州の州都)、そしてリオ・デ・ジャネイロ(現在のリオデジャネイロ州の州都、かつての首都でもあります) まっすぐ行くと、警察署と滝のある公園のようですね。
  • 最終目的地であるオーロプレットまで55kmを移動します。
  • 山あいの細い道を進みます。
  • それにしても対向車も先行車もいません。田舎でも都会でもブラジルの土地の広さを感じます。
  • 途中、オーロ・ブランコという町も超えました。 オーロは金、ブランコは、白。つまり白い金という意味の町です。
  • オーロブランコ付近。旅行者用インフォメーションもありました。営業していなさそうですが。

    そうこうしているうちに、目的地、オーロ・プレットに着きました!

    山あいにいきなり街が現れた感じです。しかも古い家ばかりで、時間も空間も一気に飛び越えてきたような印象です。

    宿泊するホテルに車をおいて、街歩きを開始しました。ツーリストインフォメーションで地図をもらいました。
  • 市内中心部だけなら徒歩で回れそうです。少し歩くだけでこんな風景が広がります。

  • こんな風景が現存し、しかも人が生活しているということ自体が不思議な感じ・・・。


    オーロプレットは坂の町。いたるとこが坂だらけです。

  • とにかく鉱物資源が豊かな土地ですので、お土産も鉱物に関係するものばかり。これは、非常にやわらかい石でできた彫刻を販売している露店群です。日本でいう「滑石」でしょうか?

    黄銅鉱かなぁ・・・。店頭にもいろいろな石が並びます 。
    こうして、オーロプレットに投宿し2日目が終了しました。
  • 【3日目】・・・オーロプレット周辺の散策。
  • せっかく、世界遺産の金の街に来たので、街の隅々まで探検しようと見学の時間を1日設けました。さあ、オーロプレットを探検します
  • 早朝の街並み。中世ヨーロッパのような雰囲気

    坂だらけの街並みです
  • 昨日見た石のお土産屋さんが、そのままの状態で夜を越していました。治安最悪なブラジルではものすごくレアな光景ですが、それだけ石の商品があふれている、ということでしょうか?

    そうそう、オーロプレットの宿は、チラデンテスより少し良いホテル。というより、観光地オーロプレットの市街中心部の相場は周辺よりやや高めでした。 といっても一家4人で朝食付きで1万円ほど。雰囲気もよく素敵なホテルで、ここに2泊しました。

  • 「ホテルの値段は朝食の豪華さに比例する」(ただし、ブラジルに関して)というのは、自分が思っているだけの法則ですが、おそらくほぼほぼ正しく、ここのホテルの朝食も少し豪華でした。


    さあこのきれいな街並みを歩こう・・・といってもチビが歩ける距離は知れたもの 。すぐに飽きてしまいました。

    旧市街中心部です。おしゃれなお店もたくさんありますが、そんなもんチビには関係ありません。

    そこでやはり車に乗って、「少し動きのある見学場所」に行くことにしました。出かけたのはオーロプレットから10kmほど離れた隣町、マリアナMarianas市。 今ではひっそりとした田舎町ですが、なんとミナスジェライス州の最初の州都だったそうです。

    そのマリアナ市にあり、目指したのが、ここミナス・ダパサージ Minas da Passagemという施設です。「鉱山への入口」「鉱山のチケット」のような意味になるこの施設は、かつての鉱山の様子を見学させてくれる場所です。

  • 現在は閉山しているのですが、昔使っていた機器を使って、坑道に入れてくれる場所です。日本でいえば栃木県の旧足尾銅山の「トロッコ体験乗車」みたいなものですね。


    これはトロッコを巻き上げる機械。この機械の先に遊園地のジェットコースターのようなトロッコがついていて、観光客はそれに乗り、坑道まで一気に下ります。

    さあ、坑道まで降りてきました。かつての鉱山の風景そのままです。

    観光客が入れるのはごく限られたエリアだけですが、それでも当時をしのぶには十分。

    これだけではよくわかりませんが、何か鉱物の鉱脈が見えています。明らかに金属の輝きがあります。

    鉱山には水がつきもの。地下水脈があるとミネラル成分いっぱいのきれいな水がたまります。この美しさを生かし、ダイビング体験なども行われているようです。

    歩き回れるのはほんの100m前後の坑道跡のみ。おそらくそれ以上は危険なのでしょう。


    地上に戻ったところで、砂金の取り方の講習コーナーがありました
    こういったサービスがあるのも日本の観光地と一緒ですね。


    さて、オーロプレットに戻ってきました。せめて買い物でも・・・とある鉱物店(宝石店)に入り、おじさんと話していたら、「これがオーロプレットだよ」とある鉱物を見せてくれました。

    たしかに黒い石の中に金らしき金属が入っています。なるほど、これは”黒い金”です!

    おじさんは同時に、白い石の中に金属がある「オーロブランコ」なる”白い金”の石も見せてくれました。白い主成分は石英?でしょうか?ちなみに自分の印象だと、金がそのまま金色の結晶になっていることはなく、ほとんどの場合、金色に見えても黄銅鉱の銅など別の金属だったような印象がありますが、ここのはまんま金です。少々胡散臭い雰囲気を感じてしまったのは自分だけ?

    ま。そんなことは良いとしてこのお店のおじさんに見せてもらいました

    それにしても店内、いたるところ鉱物標本だらけです。さすが、鉱物を生み出している本拠地は違いますね。地質学が好きな人にはたまらないだろうな・・・。

    マズイ、鉱物や寺院ばかり見ていたら小僧たちの限界が来てしまいました。仕方なく・・・おもちゃ屋に入りました・・・

    気が付いたらお昼でした。そこでたまたま見つけたパン屋さんに入り、簡単な昼食をとることに。

    ブラジルは欧米系の影響を受けまくっているので、パン類はそこそこおいしいです。頼むとその場で温めてくれますし。 ・・・と普通にパクパク食べていたのですが・・

    いきなり「Muito bonitinho!(キャー カワイイ! )」との 声ととともに、大勢のお姉さんたちが自分たちに近づいてきました。

    「なんだ?なんだ?」と思う暇もなく、写真をバシャバシャとって、一緒に撮影会まで始まりました。どうやら本当に子どもがかわいかったから一緒に写真を撮りたかっただけだったらしい・・・

    ・・・うちの子、本当にただの子どもなんですが(2回目)・・。ブラジルの人たち、本当に子どもを大切に思ってくれますね。 「治安さえ心配なければブラジルで子育てしたい」と思う日本人駐在員ママがいるのも納得です。

    街の中心部全景。かつては本当に栄えた街だったんですね。

    旧市街中心部

    かつては鉱山関係者、鉱物取引の商人などでにぎわっていたのでしょう

    中世ポルトガルのような街並みがそのまま

  • どこから見ても坂の街

    オーロプレットの路面(車道・歩道)は石でできています。石畳と言えば聞こえがいいのですが、ヨーロッパのような整えられたそれではなく、鉱山で掘り出した残りの石を並べて作られています。当然、車で走ると超ゴツゴツですが、急坂なのでちょうどよい抵抗になっている感じです。

    夕食は市街の食堂で。

    サンパウロ市街とは少し違ったメニューで、これはこれでおいしくいただきました。 ご飯を食べたあとはホテルにかえって寝るだけです。
  • 【4日目(最終日)・オーロプレット発----(650km)--サンパウロへ】
    オーロプレットなど、いろいろな街を満喫したので、サンパウロに帰ります。基本的にどこにも寄らず、単純に帰るだけですが、700km近くあります・・・。まぁボチボチ進みましょう!


  • 最終日は単純にまっすぐ帰るだけ。距離が距離なのでくらいうちのから出発です。下の小僧は寝たまま車まで連れていきます。

    子どもたちが起きるまではどこにも寄らず、ひたすら突っ走っていたのですが、明るくなり、後席の子どもも起きたので、店を探して朝食をとりました。

    飲食店によっては、こんな遊び場がついている店もあります

    妻が知らないおじさんと話し込んでました。「どこ行くの?」「サンパウロ?すげー遠いね muito longe!」みたいなことを言われたそうな。

  • ドライブ好きにとって、南米の地は楽しすぎる世界! でも、たしか東京-広島が空路で790kmだった気がしますので、この距離を一般道も含めて車で移動するとなると、運転している自分は楽しいのですが、同乗者は大変です・・・・

  • それにしてもどこまでも美しい道が続きます。対向車も先行車も後続車もなく、快適そのもの。

    本当に走っていて気持ちいい時間です

    時折車から降りて運動・・・

    同じ道でも途中で高速道路になったり、ならなかったり・・・。ブラジルの道路行政、よくわかりません。

    サービスエリアのようなものもたくさんあります。

    食事をする場所に困ることはありません。

    暑いのでアイス(ソルベッチ sorvete) を

    店内をふと見たら、ポケモンのDVDも売っていました。

    帰り道は、行きのBR-381とは別ルートBR-261で帰りました。高速道路としてはBR-381の方が整備されていましたが、BR-261は交通量が少なく、結果的に快適な道でした。

    最終日は700km近く走って、ようやくサンパウロの家に帰りました。
    4日間で1300kmほど走ったことになります。
いつか

ブラジルの鉱物街道

Estrada Real do Brasil

    ブラジルという国は一般的な日本人が考える以上に、様々な資源に恵まれています。アマゾンの動植物はいうに及ばず、コーヒーやオレンジなどの食品はもちろん、原油やバイオエタノールとしてのサトウキビなどエネルギー源もありますが、中でも鉱物の埋蔵量・生産量は圧倒的な質と量を誇ります。

     よって、大航海時代以後、つまりポルトガルに”発見”されてしまった以降は、その豊かな資源は、世界経済・政治を左右するほど大きな存在になっていきました。

     中でも、ブラジル産の金、ゴールドの存在は大きくその影響は当時の地政学の地図を塗り替えたといっても過言ではありません。そして、ブラジルの金の産出の中心地が現在のミナスジェライス州にあるオーロプレットという小さな村でした。

     

    【オーロプレット Ouro Preto】

    現在は人口7万人の小都市ですが、1698年に金鉱が発見されてからは、ブラジルのゴールドラッシュの中心地として発展してきました。この地で産出される金は、黒い原石の中に入っていることもあり、街の名前の由来となりました。ポルトガル語でオウロ Ouroとは、金(ゴールド)、プレット Pretoは黒色を意味し、オーロプレット Ouro Pretoとは、黒い金、英語でいえばブラックゴールドとなります。